PREV| PAGESELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | コメント(-) | トラックバック(-) | TOP↑

≫ EDIT

恋愛論

昔もうひとつのブログで書いてたもんなんだけど、今日久しぶりに読んでみてビックリ!なーに書いてんだろ・・・。と思ってしまった。あんまり恋愛経験豊富でも研究したわけでもないのに、いかにもよく知ってます的な感じで書いてやがるw

後から昔の自分の文章を見るってちょっとおもしろい、恥ずかしいけど・・・。そんな恋愛について硬く語った文章です。


この世には男と女しかいない。正確には人間には男と女しかいない。例外として心と体が逆の場合があるが、心があれば恋愛はできる。

人が人を好きになる。一般的な恋愛だと「好き」という感情は、「知りたい」という感情に非常に近いと思う。会う機会が少ないほど少しずつしか知りえないし、ますます知りたいと思うのが恋をしているいわゆる盲目の状態である。恋の告白により恋人という枠に入ってしまい、毎日一緒にいるとする。最初は相手のことをどんどん知ることができるから「好き」≒「知りたい」という感情は満たされ幸せである。しかし、ある程度知ってしまった場合、「知りたい」と思う度合いが小さくなる。すると今まで知りたがって盲目だった状態から開放され、周りが見えるようになる。そして結論が「好き」じゃなくなった、これがよくある恋愛の恋に火が付き冷めるパターンだ。

他にも「好き」という感情があるって?確かにあるにはある。だがそれは恋における「好き」とは性質が異なるのではないかと思う。ときどき、寂しがりやでそばに誰かいて欲しい、恋人がいない状態が不安で恋人を作るという人がいる。この場合も「好き」という言葉が使われることが多いが、いつも不安と隣り合わせで相手に依存する度合いが高い。しかしながらこのような人が自立し、自己の生活で恋人以上の安定した何かを得るとたちまち「好き」と思うことがなくなる。

そしてもうひとつの「好き」は、一緒にいて苦にならない・楽しい・安心できる・自分をさらけ出せるなどなど恋人がそんな人だと幸せだろうなといった「好き」だ。だがこの場合、一緒にいて苦にならない・楽しい・安心できる・自分をさらけ出せるといった項目は恋人以外の友人や家族にも当てはめることができる。またこの「好き」に至るには「時間」が必要であり、それは恋人以外も同様である。そしてこの「好き」という感情は裏表のない純粋に心からの「好き」という感情と言えるのかもしれない。

この3つの「好き」は性質の異なる「好き」という感情であるが、1つ目の「好き」には「時間」がかからず誰にでも起こりうる「好き」で必ず消える、2つ目の「好き」も時間がかからずその対象がコロコロ変わることがある。恋愛の形には人それぞれ星の数ほど例があるが一番得ることの難しい「好き」は3つ目だということを知っておきたい。恋の入り口はいずれにせよ、恋の仕方も十人十色にせよ、3つ目の「好き」にたどりついた恋人を持つ人は人間的な幸せを持っている人と言ってもいい。しかしながらときにそのことすら見えなくなることもあるし、この「好き」ほど外部の影響で壊れやすい。やはり恋は盲目と言うべきなのかもしれないね。


ホントびっくりするなぁ~、断言するような書き方だよなw
でも自分でもなるほどなぁと思ってしまった・・・。
ホント恥ずかしいこと書くなぁ~w
スポンサーサイト

| 日々を記す | 00:01 | comments(0) | trackbacks(1) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://gana.blog6.fc2.com/tb.php/81-b0cf4210

TRACKBACK

<恋愛において、誤差は生じるべからず。。論>

某サイトで、 様々な恋愛の形を記事にしているのを拝見した。 その中で気になった

| sumiox @ | 2005/06/22 18:15 |

PREV | PAGESELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。